現役チャットレディさんと恋愛について考えてみた

こんにちは、福岡チャットレディセオリーのスタッフです。

本日は、少し趣向を変えて、「恋愛」そして「失恋」またその乗り越え方などをテーマに、主観視点のブログ記事をお届けして行きたいと思います。

チャットレディさんもこのことについての悩みは、多いようです。

例えなども交えながら私なりに書いてみましたので読んでみて下さい。

恋愛。それは、人間として社会生活を送る上で、とても身近なものです。

また、ある程度の精神年齢になると、それをすることが当然だと思われています。

しかし、その恋愛とは一体どのようなものを指すのであろうか。改めて考えてみると非常に難しい。

それでは、辞書では一体どのように定義されているのか。ここでは、いくつかの辞書における“恋愛”についての定義を見ていきたいと思います。

目次

恋愛について考える

『広辞苑 第六版』(岩波書店,2008)には、“男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情”と、簡潔且つ明確に定義されている。しかし、たったこの二文だけでは恋愛を理解することは出来ないように思います。

『デジタル大辞林』には、“特定の人に特別の愛情を感じて恋い慕うこと。また、互いにそのような感情をもつこと”と、やはり広辞苑と同じく恋い慕うという言葉で表現されている。

また『新明解国語辞典 第七版』(三省堂,2017)には、“特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔いないと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと”と、辞書における定義としては随分と具体的に書かれています。

まるで、辞書の著者達自身の経験を元にしているかのような、非常に真に迫るものがあって面白いですね。

折角なので、英語でも“love”という単語について調べて見ました。

大きく分類して6つの意味が書かれていました。その中の2つに、「誰かや何かを好ましく、そして思いやるとても強い気持ち、特にあなたの家族や友達について」という家族や友達などに対しての気持ちです。

そして“a strong feeling of romantic attraction for somebody「誰かに対して恋愛的魅力を抱く、とても強い気持ち」と、どちらもa very strong feelingと表現されています。2つのうちの後者が、恋愛についての定義であると思います。

つまりこのように、例え辞書を以ってしても、恋愛というものを一律に定義することはできない事だと思います。

恋愛を一言で表現することは、意外と難しい。

この日本において、若い世代の結婚率が低下していることは、今や誰もが周知の事実となりつつあります。

内閣府の発表した『少子化社会対策白書』の中の“婚姻件数及び婚姻率の年次推移”の図を見ると、2016年は62万531組と前年に比べて14,625組が減少し、過去最低の数字を記録した。

婚姻率も5.0と過去最低となり、第一次ベビーブームの世代が25歳前後の年齢を迎えた1970年代前半の時代と比べると、半分の水準となっていて現在ではもっと、減少しています。

また、晩婚化に伴う出生率の大幅な減少も、社会的な大問題となっている。平均初婚年齢は、長期的にみると夫と妻共に徐々に上昇を続けていて、晩婚化は進行している。2022年時点では夫が31歳、妻が29.4歳となっている。

恋愛の仕方、そしてそれに伴う結婚への道のりも、この半世紀の間でかなり変化してきている。

1950年代頃までは、いわゆる見合い結婚が主流であった。1970年代以降は、職場における出会いから発展した結婚が増加してきた。出会いの形も時代と共に変化しているのである。

最近では、マッチングアプリなどを積極的に使用するという新しい恋愛の形も出てきています。

まず自分の顔写真や、仕事や趣味などのプロフィールを入力して、マッチングアプリを運営するサイトに登録する。

すると、インターネットの画面上で、たくさんの相手の中から気に入った人を選ぶことができます。

そうして双方がマッチすれば、ある程度メッセージのやり取りをして、お互いに会いたくなれば会うことができます。

マッチングアプリにおける恋愛は、インターネットの発展に伴って生まれてきた恋愛の合理的な方法といえるであろう。今ではカメラ機能も発達しており、インターネットを使用して、直接顔を合わせずとも画面上で会話ができるようになっています。

当初は結婚詐欺なども横行して問題になっていたこともあったようだが、今では必ず身分証明書を提出しなければならないサイトが殆どだという。運営会社は自社のマッチング率を高めるべく、互いに凌ぎを削っています。

しかし、恋愛をしなくても生きていける。結婚しなくても生きていける。

むしろ、一人で生きていく方が楽だ。若い世代の人間がそのような考え方を抱くことは、今や珍しくも何ともありません。

好きなことに好きなだけ自身で稼いだお金を使えるし、誰かに干渉されることもない。

それは一見すると夢のような生活に思えます。人間関係も浅く広くを保っていれば良いのかもしれない。

仕事にしろ友達にしろ、人間関係を深めていくには、ある程度の労力が必要です。

デート、結婚、生活費、出産、子供、学費、病気、老後、そして互いの死。誰かと共に二人三脚で歩む人生というものは非常に難しい。

しかし、それら全てを超越したところに生まれるのが、愛しいという感情なのでしょう。

生憎筆者には、未だ理解できそうにありません。

いかがでしたか?女性なら誰もが、「恋愛」というテーマで、悩んだ事があるのではないでしょうか。

とある筆者の自問自答、参考になりましたでしょうか。

この記事の筆者のように、文章に整理して分析してみるのも、逆に、こんなに難しく考え過ぎても・・・と感じて、しまうのも、人によりけりだと思います。

ただ、いつも良い恋愛をしていたい気持ちは、皆一緒ですね。

ここからは、「恋愛」にはつきものと言うと怒られるかもしれませんが「失恋」についても書いていきたいと思います。

チャットレディの先輩に学ぶ!失恋の乗り越え方

皆さんは、恋愛をしてますか?もしくは、失恋していませんか?このコロナの中での恋愛というものは、やはり難しい事もあったのではないでしょうか?

そもそも私たちは、数学や国語など基礎的な必須科目は、総じて学校で熱心に教えてもらえるのにもかかわらず、恋愛の方法だけは一から自分自身で学ばなければいけません。

しかし、よくよく考えてみれば、これは何ともおかしな話ではないでしょうか。

もちろん、多少の相談などは誰しもが行うでしょうが、この恋愛というものだけは、右も左も分からぬような手探りの状況から始めなければなりません。

完全攻略の手解き書などが欲しい所ですが、所詮そんなものは存在しません。

だからこそ、後にも先にも失敗が繰り返されているわけなのですが、私たちのような現代人は、自分自身で気軽に調べて学ぶことができます。

この文明の利器によって、日々の生活を支えられているという人も多いのではないでしょうか。

実は、かくいう私もそのうちの一人です。

私たちは、歴史や化学などと同様、恋愛についても先人の歩んだ道に学ぶことが可能です。

それでは、私も、恋愛経験が未熟な人間で、まだまだ勉強中の身です。^^

ここでは平安時代を生きた和泉式部の和歌に注目をして、現代語訳を交えつつ、彼女の恋愛遍歴を辿っていきたいと思いますのでどうか飽きずに読んでみて下さい。w

和泉式部とはどんな人?

平安時代には、いわゆる女流日記文学が盛んに創出されました。

そこには、奔放且つ劇的に愛を生きた女性たちの姿が、何とも赤裸々に綴られています。

和泉式部は、女房三十六歌仙にも選ばれた、平安時代中期に活躍した歌人です。

大江雅致の娘であり、和泉守橘道貞の妻となったことから、父の官名と夫の任国とを合わせて「和泉式部」と呼ばれました。

この道貞との間に娘・小式部内侍を儲けています。

まだ道貞の妻だった頃、冷泉天皇の第三皇子である為尊親王との熱愛が世に喧伝されました。

また、為尊親王の死後の翌年、その同母弟である敦道親王の求愛を受けます。

この求愛は熱烈を極め、親王は式部を邸に迎えようとし、結果として正妃が家出するに至ります。

敦道親王との間に一子永覚を儲けますが、兄と同じく、敦道親王も寛弘4年に早世してしまいます。

服喪を終えた式部は、一条天皇の中宮・藤原彰子に女房として出仕を始めました。

紫式部を始め、赤染衛門、伊勢大輔らと共に時の中宮・藤原彰子に仕え、華やかりし女流文学勃興の一役を担いました。

しかし、そんなお堅い職業とは裏腹に、皆様もご承知のとおり、和泉式部は多情なことで現代にまで知られています。

かの藤原道長には「浮かれ女」などという何とも不名誉な呼称をされていた程です。

また、同じく女房であった紫式部からも「和泉式部といふ人こそ、面白う書き交しける。されど、和泉はけしからぬ方こそあれ」

つまり、「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と厳しく批評されています。

結局和泉式部は、四十歳を過ぎた頃、彰子の父藤原道長の家司藤原保昌と再婚し、丹後守となった夫とともにその任国に下りました。

その和泉式部は、冷泉天皇の第四皇子・敦道親王との恋を「和泉式部日記」に綴っています。

代表的な和歌

恋多き女性であった和泉式部。彼女が残した和歌は、恋歌に情熱的な秀歌が多く後世に残されています。

それでは、いくつかの和歌を取り上げて見ていきましょう。

「よもすがら なにごとをかは 思ひつる 窓打つ雨の 音を聞きつつ」

雨が窓を打つ音を聞きつつ、一晩中あなたを想っていたのです。

「涙川 おなじ身よりは ながるれど 恋をば消たぬ ものにぞありける」

川のように流れる涙も恋の火も同じ身体から流れ出るけれど、涙の川では恋の火を消さないものです。

「世の中に 恋てふ色は なけれども 深く身にしむ 物ぞありける」

あなたを恋しく思う心は千々に砕けていますが、そのかけらはひとつもなくならず、やはりあなたが恋しい。

「惜しまるる 涙に影は とまらなむ 心も知らず 秋は行くとも」

惜しんで止まらない涙に、あなたの面影をとどめます。

「あらざらむ この世のほかの 思ひでに 今ひとたびの 逢ふこともがな」

私はもうすぐ死んでしまうだろうけれども、この世の最後の思い出に、もう一度あの人に逢いたい。

平安貴族の結婚といえば、一夫多妻制です。

当時の結婚生活は、男女がそれぞれ別々に生活し、夫が妻の家へと通う「通い婚」が一般的でした。

結婚についての規則としては、婚姻令が定められていました。

まず、当時の女性は顔を見せないようにしていた為、男性は垣間見や世間の噂から意中の女性を見つけていました。

そして男性は、その女性に懸想文といわれる恋文を仲介人を介して贈ります。

相手の女性から承諾の手紙を貰うと、女房に手引きを頼んで吉日の夜に女性の部屋へと赴きます。

一夜を共にした後、後朝の歌を贈答し、三日間続けて女性の所へと通います。そして、三日目に三日夜の餅の儀などを行って、漸く初めて婚姻が成立するのです。

結婚後、男性は好きな時に好きな女性のもとへと赴くだけいいのですが、女性は御簾裏で男性の訪れをただひたすらに待ちしのぶのみ。

現代人には想像だにもできない不平等が、男女を隔てていました。

そんな平安女性が唯一できることと言えば、やはり歌を詠むことでした。

恋慕や嫉妬、悲嘆、憂愁、女性の心に渦巻く複雑な心情は、ひとえに和歌へと託されたのです。

いかがでしたでしょうか。恋多き女流歌人であった和泉式部の和歌からも伝わってくるように、いつの時代にも失恋はつきものなのです。

失敗しても大丈夫です。

たくさんの出会いを繰り返し、ゆっくり学んでいくしかありません。

小難しい例えですいません。^^

結局これが言いたかったのです!!!

文明が発達した現代では、TwitterやInstagramなど多種多様なSNSという便利なツールがあります。

私たちには、自分自身が日々思ったことを気軽に文章の形で吐き出せる場所があるのです。

その内容が万人に肯定されるか否かは別として、自分の思いを伝えるツールを活用しない手はありません。

「ひと夜見し 月ぞと思へば ながむれど 心もゆかず 目は空にして」(あの晩あなたと一緒に見た月だと思うと、心は上の空です)

夏が過ぎ、涼しくなり始めたこの時期は、月が非常に美しいです。

平安に生きた彼女も、この月を見上げて愛しい人のことを想っていたのでしょう。

ひたすら泣いて、思いの丈を吐露する。

泣いて、思いを綴って、そうして皆乗り越えてきたのです。

ひたすら泣いた後は、きっと次の恋愛へと踏み出せます。

福岡チャットレディセオリーの皆さんも恋愛の悩みやお仕事や人間関係など、色んなことがあると思いますが一緒に乗り越えていきましょうーー!!

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